おれは「語り」が好きで

と言って私の話をよく聞いてくれる友人がいて、
ただ、私は、語りが多少事実より面白いのは当然なのではないかと思っている。

深いなー

と言ってもらえるのも嬉しいけれど、
語る時点で私の生い立ちや見聞は深くも高くも広くもなる。
それが"盛る"と呼ばれているやつだと思う。

 

もちろんストーリーテラーとして評価を受けているのなら
それは喜ばしいことなのかもしれないのだけれど、
私が特異な経験に支えられているわけではないのだと思うと、
そして自分自身が支えとしての特異な経験を欲していることを思うと、
こうして"盛る"ことと虚言の間にどれくらいの隔たりがあるのか分からない。

 

聞き上手に甘やかされている。

関係の解消

カウンセリングに通うのを辞めました。

 

終わりにした方が良いタイミングはもっと早く来ていたようにも思いますが、
私からは言えませんでした。

驚いたけれどほっとしています。
ここのところは悩んでいることもないのに
捻り出さなければならない苦痛が勝っていて、少しも楽にならなかった。

でも考えればやっぱり自分に何か問題があるという気持ちを掘り当てて、
昔のことを誰かのせいにしたりして泣いてしまう。
気付かなければどうでもいいことで悲しくなっているのは不毛にも思えました。

それなのに惰性でプロの時間を使っている、
その申し訳なさも苦しさの一つでした。


私は「どこかおかしい」理由が欲しかっただけなんだとも薄々感づいています。
変わりたくもないのに足を運ぶのは本当は間違っているけれど。

だから、苦痛から解放された気ではいますが、
「どこかおかしい」の責任を背負い込むべきターニングポイントを迎えたのであって
気楽な話ではないはずで、でもそれがよくわかっていません。

 

 

ところで、会う約束が苦痛であるという体験をして、
人のことが好きじゃないってこういうことなんだとよく分かってしまった。
この人がプロであっても、心の裡を会って早く話したいのはあの人だとか、
好き嫌いで動く感情みたいなものを感じて、
やっぱり彼は本当に私のことを好きでなくなったという理由で
会いたく思わないんだろうなとよく分かってしまった。

自分の足で歩けなくなった

ということばをどこで聞いたかは分からない、
しょっちゅうちらつくワードなので最早自分のものの気がしているけれど
多分どこかで読んだのが最初だろう

 

人のことを頼っても良いんだと優しい言葉をかけてくれる人も
いつまでもそばにはいてくれるわけではない
毎回騙されたと思うんだけれど、
勝手に期待している方が悪いんだろうと思う

 

この人生、ふらつきながらでも
どうせ誰も助けてくれないと思って歩いているときが一番強い
でもふらついているときに手をさしのべられたら
やっぱり掴まってしまう気がする

 

全然強くない

 

歩き始めたときにはふらついてなかったはずなのに
最初に一人で歩かなくていいって言ったのは誰だったか

 

5年前だろうがすぐに取り出せる
やっぱりね、と思った
許していません

 

でも、最近、
会いたいなと思っています

 

 

フォークの持ち方がおかしくても、それが彼の責任でないと分かっているなら
好きだってちゃんと伝えてあげられたら良かったのかもしれない。

でも、それがいつか終わることも気付いているなら
むやみに安心させることも無責任かもしれない。

彼のいたたまれなさが最近分かるようになった気がして
でも尚更今は慰めてあげられない気もする。

 

 

死ぬことは最後の手段に取っておきたい

 

そりゃまあどうやっても最期になるだろうけれど

 

自発的に死ぬことは

 

ああ あの人に優しくしておけば良かったとか

後悔しそうな人に後悔させたいときまで取っておきたい

私が初めて2つとなりのクラスにいた木綿子を知ったとき、

彼女は「うちのクラスの美少女」と私の旧来の友人に紹介されて登場した。

整っているが美少女、というには癖の強い顔立ちで、だからこそ気になった。

名前の最後の文字が同じとか、同じくスピーチコンテストでクラス代表であるとか、

共通する部分が多く感じられたのも、同学年というだけの間柄でありながら

関心を持ち続けられた原因だったろう。

 

次の年、私たちは同じクラスになった。

苗字の五十音順まで近かった私たちは、前後の席になった。

2年生からは英語と数学の授業がレベル別になった年だが、

成績まで近かった私たちは教室移動も一緒だった。

 

少しだけ一緒じゃなかったこともある。

体育の選択競技は、私がダンスを選んだときに

彼女は前から同じクラスだった子と一緒の球技を選んでいたし、

同じように修学旅行の班は別だったような気もする。

理科は私が化学選択、彼女は生物選択だった。

 

でもずっと一緒にいた。

3年生に上がっても同じクラスになった私たちの距離は変わらなかった。

あまりに一緒にいるから、冗談でクラスの男子に茶化されたりもした。

「加藤さんたち結構怪しい関係じゃない?笑」

名前の響きまで似ている私たちだ。

「そうなの〜〜笑」

と冗談めかして答える。本当に一緒にいた。

 

大学も近いレベルのところに進学し、二人とも上京することになった。

示し合わせてもいないのに自転車で30分くらいの距離に住むことになった。

だから最初はよく会っていたけれど、

大学も専攻も違う私たちはあの頃ほど「一緒」ではなくなった。

彼女は留学や海外旅行でしばしば東京の家を空けるようになった、

私はずっと同じ場所にいたけれど大学で恋人ができた。

連絡は取り合っていても何となく噛み合わなくなった気がしていたのは

私の思い過ごしかもしれないが、彼女の帰国のタイミングに

私の予定が合わず、顔を合わせることが稀になっていったのは事実だ。

 

 

高校のクラスから上京した同級生で集まることになった。

そもそもあのクラスから上京したメンバーが数えるほどで、

大学に入ってからも定期的に連絡は取り合っていたのだ。

木綿子が遂に留学先の大学の授業期間を終えて、

戻ってくるタイミングに合わせて開催されるプチ同窓会だ。

 

木綿子は20歳になるまでお酒を飲まないとか、

そういうことをきちんと守っているタイプの女の子だったから、

これまでにはゆっくり会える機会にお酒を飲んでいた覚えがあまりない。

他の人が飲んでいてもソフトドリンクしか頼まず、

しゃんとしているのが彼女のイメージだった。

 

だから、その日ものすごく酔っぱらった彼女に戸惑ってしまった。

隣に座っている男にしなだれかかって俯いている。

えーそんな子じゃなかったよね?

ちょっとお前もにやにやしてるんじゃないよ。

私もだいぶお酒は回っていたけど、べらぼうに強いから見た目には分からないと思う。

いつもの姿勢で、でも感情だけが解放されていて混乱した。

潰れた女の子が男にしがみついてるなんてよくあることなのに、

木綿子がこんな姿なのはいやだった。

「木綿子さん、それ見られてまずい人とかいないの?」

と別のクラスメイトが聞くのに

「いる・・・・・・、今日飲みすぎないようにねって言われてたのに・・・・・・」

と答えている。いるのかよ。

 

店を出るときも彼女はクラスメイトの男にしがみついて立っていて、

いたたまれなくなった私は彼女の手をそいつから引き剥がした。

それまではテーブルを挟んでいたからできなかったけど。

濱田くんが「お前も彼女いるだろ」とツッコミを入れたから、

「そうだよー」とおどけて私は木綿子を抱きかかえて引き離す素振りをした。

そうだけど、そういうことではないんだ。

 

 

終電を逃した私たちはそのままカラオケボックスになだれこむことになった。 

それまで私はずっとふらつく彼女を支えていた。

抱きかかえる格好になるのは、

背丈があまり変わらないから全身使わないと支えきれないのと、

私の独占欲の発現と、両方ある。

 

カラオケの部屋に通されて、私は木綿子を部屋の一番奥の席に押し込んで

その隣に座った。これで寄りかかれる人は私しかいない。

悔しいのは、このふらふらになっている女の子がどうしようもなく愛おしいことだ。

寄りかかってくる彼女の腰に手を回して抱きついても、嫌がったりしない。

それはそうだよね、女友達同士の、典型的なコミュニケーションだ。

それとも、酔ってれば他の人でもいいのかな。

 

体重を私に預ける彼女の髪に触れながら、

ここでキスしたらどうなるかなと正直思った。

驚くだろうな、でも嫌がるか受け入れてくれるかは何とも言えない。

他の同級生もいるし、友情という名のついた私たちの繋がりを

こんなところで不意にしたりはしないのだけれど。

 

ノースリーブのニットから伸びる白い腕が

私のワンピースの袖を掴んでいるのを見ながら、心底虚しくなってきた。

留学先の食事と日差しで、よくそれを保っているね、

昔食事制限のしすぎで医者に怒られていたっけ、

そのストイックなところは私にないところで、好きだよ。

でも、こうして抱きしめているのが許されているのは

私が同性の友達だからという理由は越えなくて、

やり場のない劣情は私が向けられるたびに忌避してきたものに他ならないのが、

とにかく悲しかった。

 

ドリンクバーの烏龍茶で落ち着いてきたのか、

それともカラオケという環境のせいか、

だんだん彼女の酔いは冷めてきた。

自然に腕はほどかれて、私もカラオケに集中した。

(そもそも、私の趣味をカラオケにしたのは、

高校時代週1でカラオケに行っていた他ならぬ木綿子だったし)

そのうち朝5時になって、解散した。

駅が少し遠めの私は、他のメンバーを見送ってから帰路についた。

 

次の昼目が覚めて、グループLINEを見たら

「次からは節度を持って飲みます」という木綿子の書き込みがあった。

留学先で出来た恋人と結婚も考えているという彼女は

もう羽目を外すこともないだろうし、

少し寝たら、私の前の晩のやり場のない感情も、輪郭を失っていた。