おれは「語り」が好きで

と言って私の話をよく聞いてくれる友人がいて、
ただ、私は、語りが多少事実より面白いのは当然なのではないかと思っている。

深いなー

と言ってもらえるのも嬉しいけれど、
語る時点で私の生い立ちや見聞は深くも高くも広くもなる。
それが"盛る"と呼ばれているやつだと思う。

 

もちろんストーリーテラーとして評価を受けているのなら
それは喜ばしいことなのかもしれないのだけれど、
私が特異な経験に支えられているわけではないのだと思うと、
そして自分自身が支えとしての特異な経験を欲していることを思うと、
こうして"盛る"ことと虚言の間にどれくらいの隔たりがあるのか分からない。

 

聞き上手に甘やかされている。